へんずブログ

ひたすらに理想を見ていたい

【暇つぶし考察】ふわふわと考えてみる「嫌いじゃない」の真意・使い方【緩叙法】

あいまいな表現の日本語に関して、国語力も学識もない僕が暇つぶしに考えたお話です。

なんの特にもならないことうけあいですが、同じくお暇なら是非。

 

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1.はじめに

よく使う言葉であるものの、真意を分からないまま使ってしまっている日本語があります。

 

日本語ってむずかしいらしく、「ふわふわ」とか「さらさら」などの擬態語については英語にはない表現らしいですね。

 

好きな漫画「BECK」で知りました。

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ヒロインが帰国子女で、主人公と散歩しながら話すシーン。

 

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つって。好きなシーンです。

こういう日本語、好きなんですが、わからない言葉も多くあるような気がします。

 

使い方を勘違いしているかもしれない

ふと思って書こうと思ったのは、

 

「嫌いじゃない」

です。 

 

2.ふわふわ考え始める

「嫌いじゃない」

これが

 

①嫌い

 

というニュアンスか

 

②好き

 

のニュアンスかで、受け取り方変わってくると感じていて、

 

良く聞くのが、服屋さんとか店頭販売で

「私は嫌いじゃないですけど、こちらが好きです。」

とか、

「私は嫌いじゃないですよ、いいと思います。」

では、意味が変わってくると感じるんですよね。

 

結論前後文によって意味が変わるような言葉であれば理解しやすいんですが、

どうなんでしょう。

 

 

2-1.自分で考えた場合

単純に「嫌い+打ち消し」で考えてみます。

まず手元の広辞苑で調べてみました。

 

 【嫌い】

①きらうこと。忌みはばかること

②好ましくない傾向。懸念。

③区別。

※③については、平時物語「上下の嫌いなく命の助かることを得ず」のように、〇〇の区別なく、と使うこともあるようです。

 

であれば、嫌いを「ない」で打ち消すことで「好き」に転じているのでしょうか。

 

それであれば、

「私は嫌いじゃないですけど

という言い方自体が正しい日本語では無いのかもしれません。

 

日常会話の中で、

「黒豆も嫌いじゃないねんけど、おせちはまだ栗きんとんの方が好き」

という会話であれば、黒豆は好きってことになるんですかね??

 

ならば反対に、

「好きじゃない」の場合は?

この場合は完全に嫌いの方にニュアンスが傾いてると思います。

 

2-2.ネットに頼った場合

 ただネットを使ってみると、大量の恋愛相談が引っかかり、

だるって思ったのですが、

その中で、

 

「嫌いで好きでもない」

 

という解釈がありました。

 

つまり、「どうでもいい」と。

 

これはちょっと解釈しづらいですね。

 

では、「どうでもいい」ではなく

「どちらも良い」であれば?

 

「私は嫌いじゃないですけど、こちらが好きです。」

が、

「私はどちらでもお似合いかと思うのですが、こちらが好きです。

であれば…?

 

 

なんか違和感なくなった気がします。

元々あいまいで、どちらでも良い、と考えれば

 

黒豆もどちらでも良いけど、おせちはまだ栗きんとんの方が好き」

 

比較として使用するなら正解かもしれませんね。

 

ンで結果、辞典に載ってました。

 

【嫌いではない】
読み方:きらいではない

対象について悪い印象を持っているわけではない、むしろ、どちらかと言えば好ましく思う、といった意味合いで用いられる婉曲的な表現。

嫌いではない、といって「好きだ」という見解を示す表現法は「緩叙法」に該当する。ただし、必ずしも好意を寄せているという意味となるわけではなく、 「好きでも嫌いでもない」、つまり単なる無関心という言葉通りの意味にも解釈し得る。

引用:https://www.weblio.jp/content/嫌いではない

 

やはり好印象か、無関心(どうでもいい)なんですかね。

 

ちなみに上記で気になる単語、「緩叙法」についても調べて見ました。

緩叙法(かんじょほう)とは、修辞技法の1つ。 直接的な主張をせずに、その逆の意味のことを否定する方法をいう。 例えば、「良い」という代わりに「悪くない」といい、「愚かな」という代わりに「賢くない」という方法。

 ※修辞技法(しゅうじ ぎほう)とは、文章やスピーチなどに豊かな表現を与えるための一連の技法のこと。 英語の「figure of speech」やフランス語の「figure de style」などから翻訳された現代語的表現で、かつての日本語では文彩(ぶんさい)、また単に彩(あや)などといっていた。

 

 

2-3.ヒッキー北風の場合

そういやいましたね、ヒッキー北風。

www.youtube.com

ブリーフでネタやって、

「好き?嫌い?好き?嫌い?嫌いじゃないけど生理的に無理」

みたいなネタ。

ヒッキー北風の場合、無関心に近いような気がします。

 

彼を見ると思考すら無駄に感じてきますね。

 

 

3.個人的結論

僕がそもそも疑問に思ったのが、

「嫌いじゃないですけど」

という言葉で、

「ですけど」が思考の邪魔をしていただけなんですかね。

 

単純に考えれば

「嫌いじゃない」=好き、あるいは無関心 を、

 

「ですけど」でやんわり否定して、

 

「好きなんですけど、」

という接客手法にして使っていたというわけです。

 

個人的な見解としては、

この「ですけど」の使い方自体を否定すべきであり、

 

服屋さんなら

「この色も嫌いじゃないですし、こっちも良いと思いますよ。」

と、緩叙法をしっかりと活かして使用すべきではないでしょうか。

 

 

4.おわりに

だいぶすっきりしました。

 

そもそも言葉自体の意味について書こうとしたのは、

最近「またね」って言われた時に感じた疑問でした。

 

「さよなら」は冷たくて、

「またね」は暖かい気がして。

 

また、会ってくれるのかとか考えてしまって。

 未来に期待し舞い上がってしまって。

 

 

でも考えてみれば、今回の話の様に

人間はだいたい、そんなに考えて使ってないのかもしれません。

 

僕にとっては「またね」は希望の言葉ではあったものの、

使った人にとっては「さよなら」も「またね」も意味を同じく使ったのかも。

 

日本語のせいで、より感情の一方通行を感じてしまう。

 

もしくは単なる営業トーク的な扱いだったのかな。

 

 

Mr.children「空風の帰り道」の歌詞で、

さよならは悲しい 響きだけど 君とならば愛の言葉

てフレーズがあります。

 

 

最近こういう歌詞とか映画のセリフに感傷的になりすぎていて、

小さな出来事や思い出、何もない時間も見えないことを想像しすぎているような気がします。

 

 

 

僕の気にしすぎであり、深く考えているわけでも無い。

 

それこそ、無関心なのかもしれないのに。

 

 

 

 

もやもやを言葉にして。

今回はここまで。

 

駄文お付き合い頂き、ありがとうございました。

 

最後まで読んだ人、いるのかこれ。